(中崎あゆむ「ナツメロ喫茶店」 http://www.geocities.jp/cultmandu)
またも、‘たら’‘れば’になりますが、サッコのデビューが淳ぺー(失礼ながら今回こう呼ばせていただきます)と同じ年だったら・・あるいはヒロリンと同じ年だったら・・なんて思う時があります。その中間にデビュー(’74年)した新人は、<不作の年>と中崎氏は語っていますがはたしてそうでしょうか!?少しばかり引用させていただくと、麻生よう子、浅野ゆう子、荒川務、あいざきしんや、城みちる、テレサ・テン、西川峰子、小坂明子、中条きよし、中村雅俊さんなどの名前を並べてみると、結構みなさんビッグではないですか!新人歌手としてヒットしたのは小坂明子、中条きよしさん等が活躍されましたよね!その他は女優、浅野ゆう子さん、俳優、中村雅俊さんなどお馴染みの方が現在、大活躍されています。よって、この年の新人は、ぱーとした大きな華々しさというより、地道にコツコツと歩んでいく後の実力者が多かったと思います。前年の淳ぺー、翌年のヒロリンの活躍が華々しすぎただけに、お忙しく資料をご覧になった中崎氏が<不作の年>に思われたんでしょうか!?
>サッコのデビュー曲は、シュキ・レヴィ(シュキ&アビバの人)という人による作曲。けっこうヒットしたし、あのメロディーとサッコの笑顔は、人々の心に残り続けているはずだ。しかも第弾「夢みる頃」と合わせてロンドン・レコーディングという、あのころのアイドルとしては快挙というか、まさに鳴り物入りの大々的デビューだったのに...。なぜ、なぜ...。プロダクションの力とか、芸能界の醜く汚れた部分のせいなのか
>いや。実は、不可解に見えたレコ大の人選だが、これには裏があった。当時のレコ大の対象は、日本人の手による楽曲に限られていたのだ。このへんは西城秀樹1979年のメガヒット「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」がノミネートされなかった経緯と同じ(注・秀樹は別の曲でノミネート)。うーん、これが、サッコの悲しいB級アイドル的人生の始まりかも。
またも引用させていただきました。う~ん!レコ大こそ、上記の理由で逃したかもしれないけど、結構数々の新人賞も取っているんですよ、とおしえてあげたくなっちゃいますね。でも悔しさが残るのは、某新人賞で、取りそこなったあのサッコの一瞬の、悲しそうなお顔はまだ覚えていますね。私も悔しかった!
疑問に残るのは、なぜサッコの事務所側が、デビュー前にレコ大の人選は、日本人の手による楽曲に限られている事を把握しておかなかったのか?鳴り物入りの大々的デビューだったのはおおいに結構な事ですが、セールス面やデビューの形にこだわりすぎて、年末のショーレースの規則などは事前に調べられなかったのか、調べてなかったら、単なる事務所側のミスというところなんでしょうが・・・こちらも悔やまれてなりません。が、翌年の日本テレビ、金の鳩ショー受賞は嬉しかったですねぇ。事務所側も、鬱憤を晴らしたような気分だったでしょうね! またも続きます