2007年らぽーれ サッコステージ&BP 6時の部後編
(木枯らしの二人は今回も声量がありよく声が届いていた)サッコ:ありがとうございました。10代の頃に出した歌なので、かけおちするこの歌の歌詞の意味がわからなかった。阿久先生はよくあの顔でこの歌詞・・なんて言えない(本人苦笑い)難しくてわからないと悲鳴あげていた。やはりこの年になりいろんな経験をして理解しながら自分の歌にやっとなったという曲をたくさん持っている事に心から感謝したい。ありがとうございます。時間が過ぎるのはあっという間だがラストの曲になってしまった。次に歌う曲も難しくてレコーディングにすごい時間がかかってしまった苦い思い出がある曲。今は大好き。いくつになっても歌い続けていきたい曲。お別れに「冬の星」聞いてください。
「冬の星」歌う。(この日のステージでは乙女・・と同じほど、じんじんと心に入り込んでくるようだった。いつかカバーするならこの曲、といつも言っているサッコの意気込みが感じられるほど力が入っていた。圧巻された)
幕が閉じ、観客アンコール。再び幕が開く。サッコ:アンコールかからなかったらずっとここにいなきゃと思っていた。ありがとうございました(本人 笑)ほんとに今日はお忙しい中こんなにたくさんの皆様にお集まりいただき・・・。こないだテレビをご覧になった方いると思うが私も私なりにいろんな人生があった。泣いた事も笑った事も多々あったが今はこうやって再び皆様の前で歌える喜びをひしひしと感じている。声の続く限り、自分的にはあと40年頑張れるかと思っている。サッコ一礼。観客拍手。ありがとうございます。もう私はほんとに何もいらない、歌だけあれば。キザな言い方だが歌を歌っている時が一番しあわせ。芸能界は厳しいところ。私みたいに18年、20年近いブランクがあって、ひょこっと戻ったからといいすぐ結果が出る世界じゃないのは私自身一番わかっている。ですから初心に戻り、一生懸命勉強していちからやり直しているつもりでいるが細く長く頑張って歌ってまいります。どうぞ伊藤咲子をこれからも応援していただきましたら大変嬉しく思う。どうもありがとうございました。サッコ一礼。会場拍手。
ありがとうございます。それではお別れにまだやっぱり歌ってない曲ある。へへへ、この曲は最初に歌って聞いたからいいかって言う方がいる。ですから最後の方に出し惜しみしている。お別れに思い出のデビュー曲だが音羽ゆりかご会というこども達と新しいバージョ ンでレコーディングし直した。いつの日か、学校の音楽の教科書に載ってもらえるような新しい童謡として捉えてくれれば私としては嬉しい。そんな思いでこれからは歌っていきたい。皆様もよかったら一緒に歌ってください。思い出のデビュー曲「ひまわり娘」聞いてください。「ひまわり娘」2時の部と同じ童謡バージョンで歌う。(いつもと変わらぬ明るく元気な歌声だった)幕が閉じる。
※6時からの部が始まる十数分前、帰りのバスにすぐに乗れるよう受付で清算してしまおうとロッカーキーを探したらない、ない、バッグの中も、キャリーバッグを探しても見当たらない。隣に座っていたはっちゃんに宴会場を探してみたらと言われそうする事にした。その前に受付で聞いてみようと思い、キーの番号はなんとか覚えていたので聞いてみたら宴会場に落ちていたとの事!全くまぬけな私だがまずは見つかって一安心。そして感動の2部のサッコステージが終わり、そそくさと帰り支度をしバスに乗り込んだ。
バスには数名の「ひまわり隊」メンバーが乗っていた。去年のバースディパーティでお会いしたサッコのジム仲間の方2名も6時の部の前にお会いして少しお話する事ができた。その方達も同じバスだった。私の隣には奈良必撮さんが座り、写真の撮り方などを少しアドバイスしていただいた。駅に着き、新幹線はおろかめったに電車に乗らない私は電車のマップを見ながらまごまごしていたらジムの方がわざわざ改札から戻っていただき乗り方を説明してくださった。(ここで私は勘違いしていた事に気づいた。南越谷駅で降りたとばかり思っていたら、ここは北越谷駅だった。この時間帯だと送迎バスの南越谷駅行きはもう終わっていたとの事。去年はkame隊長に途中のJR駅まで送っていただいたのでわからなかったのだ。もう田舎者丸出しの自分が恥ずかしい。。。)ジムの方達におしえていただき南越谷駅までご一緒した(ご一緒させていただきました)お二人ともこちらをご覧になっていたら、当日はありがとうございました。おかげ様で助かりました。またいつかお会いできれば幸いです。
当日はサッコちゃん、ひまわり隊の皆さん、そしてスタッフの皆さん(今回もたいしてお役には立てませんでしたが)皆様ありがとうございました。次回はいついけるとは断定できませんが、またサッコの素晴らしい声で感動を頂きたいと思っています。ありがとうございました☆☆☆
連日のレポートありがとうございました。毎日仕事が一段落した後、読ませていただきました。
電車の乗り継ぎ、大変だったようですね。埼玉の路線は県外の方には分かりにくいと思います。
そういう私もバスを降りて「風景がお昼と違うなあ」と。(笑)すぐに「きたこし」とわかりましたが。
◎余談になりますが、昨日発売の「文藝春秋五月号」になかなか興味深い記事がありました。
作家・五木寛之氏と大学教授が「昭和の歌」について語り合っています。その中で「唱歌や童謡、昭和の歌謡曲も教科書に加えてほしい、情緒教育としてもいい」と。サッコソングの中にもふさわしい歌があるなあと思った次第です。
投稿: なおと | 2007年4月11日 (水) 20:23
なおとさん
毎回のコメントありがとうございます。越谷でもお世話になりました。埼玉も場所によってはわかりづらい路線がありますね。まあとにかく無事に自宅へ帰れただけでもよかったです(汗)
五木寛之氏と大学教授はどんな「昭和の歌」を推薦していたのですか?もちろん「ひまわり娘」は加えてほしい作品ですね☆
投稿: かなみ | 2007年4月12日 (木) 09:31
>五木寛之氏と大学教授はどんな「昭和の歌」を推薦していたのですか?
タイトルが「わが引揚げ体験と昭和の歌」というものであり、戦後復興期のヒット曲についてなのです。私等にとってはリアルなものではありませんが、この記事の中で「昭和歌謡の根幹」について触れています。これは昭和40~50年代の歌にも共通していることでしょう。。。
つまり世相を映す歌、流行歌がなくなってしまったと。昭和の歌謡曲のほうが、歌詞はやさしく楽曲も複雑ではない。しかし今の歌よりも歌詞に力があったと述べています。それで聴いたら忘れない曲が多いとのこと。今も百万枚売れる曲はあるけれど、閉鎖的に聴かれていて、国民全部の歌にはなっていない。世代が違うと聴く曲も違う。世代共通のヒット曲がなくなってしまったと五木氏は語っています。また大学教授氏は「歌謡曲は日本の情緒を凝縮した文化遺産である」と述べています。そしてもっと昭和歌謡を見直していこうと最後に言われてます。
要約するとこのような内容でした。
私はこの記事を読んで、年末の紅白や賞レース番組の衰退ぶりと関連しているように思いました。
長くなりましたので、この辺で(^^)
投稿: なおと | 2007年4月12日 (木) 20:59
なおとさん
わざわざ詳しくおしえて頂きありがとうございました。全くおっしゃるとおりだと思います。難しい事は言えませんが、昭和40~50年代というとちょうど高度経済成長時代で日本が元気で活発だった時代ですね。その頃の歌は元気で力があったので、忘れられない心に残る歌が多かったのだと思います。あの頃のような時代はもう来ないかもしれませんね。
>そしてもっと昭和歌謡を見直していこうと・・・
大学教授氏のおっしゃる通りです。
>私はこの記事を読んで、年末の紅白や賞レース番組の衰退ぶりと関連しているように思いました。
同感です。これからの歌謡界はどうなっていくんでしょうね(´`)=3
投稿: かなみ | 2007年4月13日 (金) 11:41
詳しいレポートを読ませていただきました。お疲れさまでした。皆さんの発言の要旨を並べる、というレポートはなかなか新しいかたちで、分かりやすいですね。
確かに美咲さんのおっしゃるように、BBSの投稿は微妙に頻度が落ちているような気がします。ブログへの隊員のコメントも減り気味で…。ちょっと淋しいです。皆さんお忙しいのかな。かなみさんにはいつもコメントいただいて、ありがたく思っています。
サッコさんの歌声はいつもどおりの大迫力だったようですね。ぼくもいずれまた聴きに行ければなあ、と思っております。
投稿: まるよし | 2007年4月15日 (日) 07:13
まるよしさん
今回はサッコステージ&サッコバースディにおいでになれず残念でしたね。お体を万全に整えてサッコステージに行けますようご自愛くださいね。
さて、今回のステージでは定番の代表曲「乙女のワルツ」の2度の歌と「冬の星」が大迫力で最高でした。それと感激したのはマイベストソングでトップに取り上げた「紅い花」を歌ってくださった事です。確かまるよしさんも「冬の星」のファンといってませんでしたっけ?ぜひ今回は見る価値があるほど熱唱だったと思います。
BBSももっとたくさん投稿があればいいですね。ブログへもたくさんコメントいただければやる気も沸いてきますしね(苦笑)まるよし講読はいつも拝見しています。愛しのサッコくらいしかコメントできませんが・・これからもお互い頑張っていきましょうね☆
投稿: かなみ | 2007年4月15日 (日) 16:53