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2011年9月 2日 (金)

vol.139 大人の遠足*INうつくしま福島

Dsc05554復興支援イベントでは、本当に楽しい時間を過ごすことができて、サッコちゃん渡辺マネージャーさまKame隊長、そしてサッコファミリィなひまわり隊のみんなに、多謝感謝しています。幸せなひとときをありがとうございました。

久しぶりの大人の遠足、サブタイトルは福島食い倒れツアーレポートです。

土曜日は横浜で仕事のため、7時にはうちを出なければなりません。母に「行ってくるね」と手を振ると、母も満面の笑顔で見送ってくれたので安心して出かけることができました。半袖が肌寒い朝、千葉駅7時23分発逗子行に乗り、ケータイに入っているサッコソングを聞きながら、朝食の万葉弁当に箸をつけます。さあ、大人の遠足の始まりDsc05549始まり。Dsc05548_2

13時すぎ。仕事を終えて、横浜から東京駅に向かう十分遅れの東海道線の中で、昼食をとりました。昼食はシューマイ弁当。二十分前には東京駅に着いて、14時8分発Maxやまびこ251号 [仙台行き]の車内清掃が終わるのをしばし待つ間、♪駅のホームの、キオスクでのどを買いました。(この時は、福島で、この飴をポシェットから取り出すのを見たサッコちゃんに、「やだぁ。バックに飴なんか入れて、おばさんみたい」と言われる羽目になるとは思わず…。)Dsc05694 Dsc05557 Dsc05555  サッコちゃんもステージMCで話されていたんですが、クリーンスタッフの皆さんの帽子にひまわりの花がついていたので、パチリ。掃除中の札もパチリ。まるよしさんのために、車両もパチリ。

今回は久しぶりの自分のためにでもある遠足なので贅沢してグリーン車を利用しました。広い!広い!ケータイアラームをセットしてのんびりとサッコソングを聴きながら爆睡。あっという間に郡山に到着しました。近いですね。ホームに降りて、タッキーいるかなとキョロっとすると、いました、タッキー!先発隊は一本早い新幹線だったので、後発組の相棒がいてほっとしました。Dsc05558_3 Dsc05552_2 Dsc05551_3 タクシーに乗って、ホテルバーデンにさくさく行くつもりが、運転手さんがホテルを知らない。タクシーにはナビもない。ちょっと遠回り(♪寄り道をしてもいいですか~)をしましたが、4時過ぎになんとか到着。既にロビーには先発ひまわり隊が集合していました。

私は順ちゃんと姉貴と同じ部屋で、順ちゃんが部屋まで案内してくれました。さっと荷物を置いて、4時半からの支援ミニコンサート会場へ向かいます。らぽーれみたいな感じです。ひまわり隊はステージに向かって右側にかたまって座りました。TokioさんやMomoちゃんに誘われて、生中を注文。Momoちゃんが買いに行ってくれてジョッキ2つ受け取ったところへ、Dsc05561 サッコ登場。あー見つかっちゃった!一夫さんに加寿姫さんともかんぱーい!サッコの一曲目は「ひまわり娘」歌の後はオークション。サッコの品物を買ってもらって、お金はひまわり基金に寄付するというもの。サッコが出品されたものは、バッグ、Tシャツ、Gジャン、上着。すべて100円スタート。地元の方に楽しんでもらうのが目的なので、参加は控えましたが、ファンクラブでもやっていただきたいです。(けっこうな募金額になると思いますよ) オークションの後は「ふるさと」「女の歌」サッコちゃん絶好調です。最後は客席リクエストに応えて「木枯しの二人」。MCでの柱の数は50本。喜ぶひまわり隊。

ライブの後はKame隊長の奥さん、エミちゃんと山形以来の再会を果たして、少しお話をしました。励ましの言葉をかけたかったのですが、うまく表現できず、もっともっとエミちゃんの話や気持ちを聞けばよかったなと自分の至らなさを後悔しました。

Dsc05571Dsc05573晩御飯は18時から。おさしみのいか(no3)がすごくおいしかったです。カラスさんにビールを注いでもらい、かなり飲みました。順ちゃんと姉貴は行動が素早く晩御飯の前に入浴をすませていましたが、ぽてみるさんと私とMomoちゃんは23時ごろ、温泉に入りました。Dsc05574 Dsc05572 お湯につかって、あーっ本当に極楽極楽と、日ごろの疲れも癒すことができました。すべすべのたまご肌になりましたよ。

翌朝6時、ぽてみるさんとMomoちゃんと朝風呂に入ろうと約束していたので、また温泉に入りました。(幸ちゃん、お湯はたっぷりあったからね。ご心配なく^^)そして、7時に朝食をとり、出発の9時まで、荷物整理をしたり、Dsc05588_2 Dsc05590_2 りんごスターさんからいただいた甘酸っぱくて味わいさわやかなりんごを丸かじりしたり、ゆったりと過ごしました。蝉やの野鳥の声も聞こえ、のどかないいところでした。

須賀川での夜7時からのコンサートまで、福島喰い倒れを楽しみました。食べたものは、クロワッサンラオホビールと粗挽きフランクフルト(no2)天ぷらまんじゅうビールと野菜天ぷらコンニャクざるそばイワナ(no1)ラムたこ焼き

うつくしま福島を満喫!!!

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19時。サッコちゃんの支援ミニライブが始まります。最後に花火を打ち上げるためやイスを置いたりブルーシートを敷けないとのことで、地べたに腰を下ろして観覧。同世代の女性に「サッコちゃんの歌を聴くのが楽しみで今日来たんですよ」と話かけられました。ならば、ぜひぜひ遠慮なく最前列の真ん中に座ってくださいと背中をおしました。あったかくてほっとする人柄の地元の方々にも触れられて、嬉しい気持ちをいただきました。Dsc05653_2会場も盛り上がりました。 Dsc05649_2Dsc05648_3   曲のメニューは、「ひまわり娘」「木枯しの二人」「きみ可愛いね」「乙女のワルツ多和田さんのハーモニカひまわり娘」withひまわり隊&よさこい会のみなさん「女の歌」「ふるさと」この夜のサッコちゃん、かなり気合が漲っていましたね。「乙女のワルツ」に至っては 「今サッコのすべて」という感じの進化した「乙女のワルツ」でした。柱の数も60本に増え、最高の夜でした。そして、打ちあがる花火の中、夏の終わりを惜しむように復興支援イベントは幕を閉じたのでした。Dsc05659_2 Dsc05602_2

そしてそして旅の終わりは「たそがれにをこめて」郡山へ向かう帰りのバスの中で、多和田さんのハーモニカに合わせて、ひまわり隊みんなで歌いました。多和田さん、ありがとう!

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 私の父は長崎出身です。戦争中、父は東京で海軍飛行予備学生として訓練に励んでいたそうですが、1945年8月9日に父の6兄弟のうち長崎市にいた次男次女の二人が、通称ファットマン、プルトニウム239によって被爆しました。市外にいた祖母が市内に入り、放射能の中1週間必死で子供たちを探したそうです。即死は免れたものの、祖母と叔父が1年後に亡くなりました。当時の長崎は原爆が原因とはわからず、流行り病と言われながら、投下後、数か月から数年の間、亡くなっていく方も少なくなかったようです。被爆したおじの枕元にあった衣類が原因で、看病にあたっていた父の兄弟たちも二次被爆しました。その中の長女である叔母が、ちょうどテレビドラマ「赤い疑惑」で白血病が話題になっている時、二次被爆による白血病で亡くなりました。戦後、30年経ってからのことです。長崎市にいて、直接被爆した叔母は今年83歳になりましたが、元気で過ごしています。

 福島の原発は関東の人間の生活のためのものです。それを忘れてはなりません。正しい知識と情報を持って、これからも福島の復興のために、未来を背負うこどもたちのために、できることを見つけて、協力していきたいと思います。Dsc05671_2

                                   文責 千葉在住 KAZUKO

女の歌

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