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2006年9月

★☆「美咲日記」オープン1ヶ月記念(9月20日)☆★

美咲日記」は8月20日にオープンしましたので、今日で丸1ヶ月になります。思えば長い1ヶ月だったような気がします。何とか毎日欠かさず投稿できたのは奇跡かも知れません。元々そこまでする気はなかったし、できるとも思っていなかったのですが、サッコさんに関係ないネタでもいいと開き直ったのでここまで続いたのでしょう。実際サッコさんに関係するネタはほとんどなかったような・・・ (ごめんなさい) でも、毎日サッコさんの顔を思い浮かべながら書いてますよ。

思えばあの頃はまだ暑かった。富山の余韻が強~く残っていて、このままずっと夏が続くのではないかと勘違いしそうな熱い気分でした。それから、ひまわり隊の皆さんが903青山ライブを目前に盛り上がる中、お留守番組の美咲としては、富山の余韻を持ち続けて行こうと心に決めていました。そこへ、ライブと前夜祭、後夜祭にも行けるくらいの願ってもない東京出張の話が持ち上がり、そして本当に、願っても「ない」幻の出張になってしまいました。元々なかった話とはいえ、ちょっと落胆していました。
 # 何のことか分からない方は、9月1日の掲示板(No.5888)を参照ください m(__)m
ところが・・・ 災い転じて福となす、瓢箪から駒、捨てる神あれば拾う神あり、拾ってくれたヤマトさんのおかげとやさしいサッコさんのサービス精神によって、結果的にはこの1ヶ月の最大の出来事は、例のアレ(サプライズ電話)になりました。
 # 何のことか分からない方は、9月3日の美咲日記を参照ください m(__)m
多分、9月30日の日記でも「9月の最大の出来事は例のアレです。」と書いているだろうと容易に想像できます。年末にもですね(笑) それまでにもっと素晴らしい出来事があれば、それはそれで非常に嬉しいですが。。。

この1ヶ月を一文で言い表すとすると『なんて幸せ者なのでしょう。』です。

これからもずっと投稿を続けるには新しいシリーズを考えないといけないかなあ、と悩んでいる今日この頃です。たとえサッコさんのネタとは関係なくても、サイトを盛り上げるために、サッコさんへの気持ちを込めて、できる限り投稿を続けようと思います。
# たまに休んでも許してね!!

==== 完 ====

単なる日記:すっかり秋(9月19日)

ちょっと前まで暑かったと思ったら、ここ東広島はすっかり朝晩が寒くなってきました。明後日からは9月下旬なので当然といえば当然ですけど。あんまり涼しいので今日からパジャマを長袖に替えました。掛け布団はまだ夏布団という話もありますが。

それから、真夏の徒歩通勤は汗だくの後エアコンで冷えひえという経験をしたので一度で止めましたが、これくらい朝晩が涼しくなると、徒歩通勤も良いかなあと思っていたりします。ガソリン代も高くなっていることですし、健康のためにもなって一石二鳥かなって。徒歩通勤するようになると、自然にエレベーターではなく階段を使うようになったりもしますので、どんどん健康になりそうな予感です。実行に移さなければ意味がないですけどね。

==== 完 ====

単なる日記:敬老の日(9月18日)

今日は「敬老の日」でしたね。皆さん何か『敬老』しましたか? 私は何もしませんでした。(この親不孝者!)
うちの娘達は嫁さんの実家(じいじとばあばの家)へ遊びに行きました。JRで45分程です。この危ない世の中でも小学生5年生と3年生の女の子を二人だけで電車に乗せて遊びに行かせる親も珍しいのかなあ?と思いつつ。(でも、そんなこと言っていたらいつも親が付いていなければいけなくなるし。)
目的は決して『敬老』ではありません。下の娘がもうすぐ誕生日なので誕生日プレゼントを買ってもらうためです。一輪車を買ってもらいました。今のはもう古くなったし、小さくなって乗りにくいので。そうなると上の娘もついでに何か買ってもらうことになるのだろうと思っていたところ、NINTENDO DS のACアダプターを買ってもらっていました。うちにはDSが3台あるのですが、そのうち2台はペットのウサギに線をかじられてもうぼろぼろです。1台は私が修理して何とか動いていますが。
★ちなみに、過去に掲示板で紹介したことがありますが、うちのウサギの名前は「うさぎ」といいます。
娘達は目的を達しましたし、まあ、じいじとばあばも喜んでくれるので結果的には『敬老』の代わりになっているのかも知れません。帰りはじいじが車で送ってくれました。一輪車付きなので電車では無理ですから。

うちはまだ実家に私の祖母がいますが、うちの子供達から見れば、私の親も『敬老』の対象になるのかと思うとちょっと複雑な気持ちです。まだ自分自身の気が若いというか親としての自覚がないというか。。。 でも、下手をすると私自身もその対象に思われかねない!? それはまあないとしても、子供の頃に感じた『お年寄り』の年齢というのは、本人にしてみればまだまだ若いんですよね。
考えてみれば自分が子供の頃のおじいちゃん、おばあちゃんは、まだ50代半ばだったんですから。

==== 完 ====

単なる日記:廃品回収(9月17日)

今日は朝から子供会の廃品回収でした。台風が近づいていたので雨で中止になるかと不安だったのですが、何とか天気は持ちこたえてくれました。そういえば、前回の廃品回収は雨の中濡れながらやりました。新聞も雑誌も濡れるので重くて大変でしたが、あんなに濡れたものでも回収して大丈夫なのかと心配さえしたものです。今日は終って家に帰った後に一度ザーッときて、午後からは時折ぱらついていました。ラッキーだったと言えるでしょう。夕方から夜になって台風の影響で風が強くなってきましたが、今は静かになっています。
廃品回収の参加者は親子合わせて40名強で、親と子供が半々くらいでしたが、父親は私一人であとはみんなお母さんでした。車で各所から回収して回るのもお母さん達の車だし、最終的に業者のトラックに積むのを手伝うのもお母さんと子供達でした。お父さん達は日曜日の朝は何をしているんでしょう?お母さんと子供が子供会の行事で出かけている間、家でテレビを見ているのか、はたまた朝寝坊しているのか・・・
まあ、参加している私自身もほとんど作業はしていませんが。。。やっぱりこういうときは子供に仕事をさせないとね。

==== 完 ====

単なる日記:図書館は親切(9月16日)

今日(9月16日)(といっても昨日になってしまいましたが)、市立図書館へ行きました。
図書館では端末で蔵書を検索できますが、以前調べたときに読みたいと思っていた本がなかったので、3週間ほど前に取り寄せをお願いしました。すると今日図書館から本が入ってきたとの連絡があったので取りに言ってきました。ピカピカの新しい本でした。刊行自体は2004年8月と古いのですが、手にとって見たその本はまったくの新刊のようでした。図書館が購入して準備してくれたようです。
500円弱の本なので、図書館へ借りに行くときと返しに行くときのガソリン代を考えれば、自分で購入してもそれほど金額差はないかも知れませんが、これでこの本を読みたいと待っていた市民の皆さんがこの本を読めるようになるので、美咲が市民の皆さんに貢献したことになるかなと考えています。(東広島市民の中には)このシリーズを待ちわびている人がいるはずです!!
これが何の本かというと、それはまだ秘密です。いずれ例の作家紹介のシリーズで明らかにします。

==== 完 ====

単なる日記:老人の日

今日9月15日は「老人の日」だということをご存知でしたか? 何言ってるんだ9月第3月曜日に変わったんだぞ!と思わないで下さい。2002年まで9月15日だった祝日が2003年に9月第3月曜日に移ったのは「敬老の日」です。
元々「敬老の日」だった9月15日が「老人の日」に変わったのです。それまでの「敬老の日」を記念日として残すために制定されたものです。このネーミングにはあまりセンスを感じませんね。国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す日だそうです。
まだまだ老人じゃないけど、皆さん、自らの生活の向上に努める意欲を持ちましょう。

==== 完 ====

美咲のレコード・歌謡曲・歌手遍歴紹介シリーズ4

ここからレコード時代に入ります。

サッコさんのシングルで言えば、「ひまわり娘」(1974/4/20) ~「きみ可愛いね」(1976/3/5) の時代です。

 「ひまわり娘」 伊藤咲子 1974年4月
   美咲が生まれて初めて自分で買った記念すべきレコードです。
   スター誕生のデビューコーナーで見てからサッコファンになりました。
 「仮病が上手な男の子」 林寛子 1974年
   2枚目に買ったレコードです。
    「昼下がりの夢」を買いに行ったら新曲が出ていたので買いました。
   林寛子さんは、『君こそスターだ!』出身ですよね。
 ★『夏祭りにっぽんの歌』ではサッコさんの同期生として紹介され歌いましよね。林寛子さんは「素敵なラブリー・ボーイ」を歌いましたが。
 
 「生まれたままの姿で」 あべ静江 1974年12月  B面:「モジリアニの少女
   3枚目に買ったレコードです。
   私はこのとき初めて、「モジリアニ」という画家がいることを知りました。
 ★林寛子、あべ静江、大場久美子、沢田亜矢子で「女盛りゲザデレタ」を結成してCDを出した事もありますね。

 美咲が初めて買ったアルバムは、(だけど多分親の金で買ったものです)
  LP「あなたにあげる」 西川峰子 1975年(昭和50年) でした。
   『徳光&コロッケの名曲の時間です』では、昭和50年の曲として紹介されたシングル「あなたにあげる」は、実は昭和49年7月の曲です。
   12月には2曲目の「初めてのひと」が出ていたのですね。まあ、翌年も歌い続けられたということなのでしょう。
 美咲が初めて買ったベストアルバムは、(これは自分の小遣いで買ったものです)
  ベストアルバム「Discography」 あべ静江 1976年11月

まだ、レコードを買うことがすごい贅沢であると思っていた頃です。
たから、サッコさんのシングルレコードをほとんど買っていませんでした。

シリーズ4 完

美咲がたくさん読んだ本の作家紹介その3

3人目の紹介です。

■山村美紗さん
 かの有名な女流ミステリー作家。推理小説のトリックの女王と呼ばれた山村女史です。
 ご存知の通り、彼女の娘さんは2時間ドラマに欠かせなくなった、山村紅葉さんです。
 就職してからのこと、ある時たまたま買って読んだ本がおもしろかった(のだと思うのですが記憶が無い)ので、たて続けに買って読みました。この人の本は人気があり、同じ作品が色々な出版社から出版され、しかも京都をテーマにした作品が多いのでどれを読んでどれを読んでいないのが途中でわからなくなりました。実際、読み進めているうちになぜか結末がわかってきたので以前に読んだことがある作品だと気づいたこともありました。
 彼女は数年前に亡くなったので、それ以後作品が出ることもなく(あったのかも知れないですが)、読まなく(読めなく?)なりました。

シリーズ3 完

単なる日記:ちょっとした物忘れ

またまたボケてきた話です。
夜会社から帰ろうと下駄箱のところへ行きました。我々のフロアは5階で、各フロアに下駄箱があります。 つまり居室の中は上履き、廊下は下履きという感じです。とは言いつつ上履きで廊下や外まで歩いてますが。 さてその5階の下駄箱の近くの窓から外を見たら結構強い雨が降っているではありませんか。このまま外へ出たら駐車場までかなり濡れてしまうと考えて、ロッカーまで置き傘を取りに行くことにしました。 1つドアを通って部屋に入ったところで、ふっと朝の部分的な記憶がよみがえって来ました。 なんか傘を1階の傘立てに立てた映像が目に浮かんできます。そうだ、そういえば朝雨が降っていて、車から傘を差して建屋まで歩いてきたんだった。さらによく考えてみると、昼休みも雨だった。ということは今日は朝から一日中雨だったんだ。

時間にすれば2分もないことなのですが、自分の記憶が戻ってくるまでの遅さに呆れました。

==== 完 ====

単なる日記:9月11日

今日9月11日はあの同時多発テロの日です。時差の関係からいうと米国では5年前の今頃がまさに惨劇の途中です。始まりは現地の時刻で午前8:45、日本では午後9:45(計算あってます?)ですので、2時間くらいたっていますか。。。
私は会社でその事件を知りました。奈良の事業所にいた頃のことです。別の部門の友人が伝えに来てくれました。もちろんそのときは詳しいことはわかりませんでしたが・・・ そんなバカな!?と思ったことだけは覚えています。
もうあんな凄惨な事件は起こって(起こして)欲しくないものです。日本で、あるいは身近で起こったときのことを考えるとぞっとします。

ちょっと不謹慎な話になって恐縮ですが・・・
学校での出来事としてたまに「試験がいやで学校に火をつけた」といった事件がありますが、私が開発の担当として最前線にいた頃には、自分の担当部分の開発が予定通りに進まず「これじゃあどうにもならない!」と焦りが出て、「会社が燃えてくれれば楽になるかなあ?」とか、「飛行機がこの建物に墜落してくれれば開発全体がストップして自分の責任がなくなるかなあ?」とか、危ないことが頭を掠めたりしたものです。開発がピークだった頃はそんなことの連続でもありました。もちろん、何も起こりませんでした。
現実にそんなことが起こるとは、考えるだけでも恐ろしいです。

これ以上書くと、ボロが出るので止めておきます。

==== 完 ====

女の歌

最近のトラックバック

ディスコグラフィー(アルバム)

  • <small>木枯しの二人 伊藤咲子  歌謡デラックス</small>
    アルバムのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

<big><b>ディスコグラフィー(シングル)</b></big>

  • <small>(番外)セブンイレブンファミリーソング「友達になろう」(非売品)</small>
    シングルのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

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