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2006年9月

美咲のちょっとだけ辛口交じりトーク:オリジナル

私は実は結構オリジナル曲が好きです。ここでいうオリジナルというのはカバー曲に対するオリジナルではなく、最初にレコーディングされた、最初にレコードあるいはCDとして発売されたときの曲、歌です。初々しくて懐かしかったりもして、いいじゃないですか。 皆さんがCDやレコードの曲を聴いているときはそういう気持ちではないでしょうか? いくら歌が下手であっても(発展途上であっても)、表現力が足りなくても、発売当時に何度も聞いた曲、歌が心と頭にしみついてしまっていると、後でどれだけうまくなった歌を聞いても最初は違和感を持ってしまうことが多いです。それにも慣れてしまえばそれもまた良くなるのでしょうけれど。

一方で、必要以上に音を伸ばしたり、フレーズの歌い出しをやたらと遅らせるなど、妙な歌い方をする歌手がいます。偏見かも知れませんが、特に演歌歌手にありがちなこの歌い方を聞くと、はっきりいって腹が立ちます。J事務所5人組S○○○○のKTなどにもややこの傾向が見られます(このグループの別のメンバーのファン談)。 小手先のテクニックにおぼれると言うのか、オリジナルのまま歌って進歩が無いと思われのが嫌なのか、飽きられると思っているのか、楽譜どおりに歌うとうまく聞こえないと思っているのか・・・ もちろん、単に楽譜どおりに歌うことがよいわけではなく、それが「うまい」とうわけでもないですが、どうにも我慢ができないほどリズムを外すのは止めてもらいたいです。いい歌はオリジナルのまま歌っても決して飽きられることはないです。

もちろん、曲のアレンジを変えて別バージョンにしたり、コンサートなどで違う感じを出したりすることとは全く別の話です。

と、これだけネタ振りをしておいて、(ここまでは書いていてどきどきしました) そうではない歌手ももちろん多いですよね。

たとえば、岩崎宏美さんはいつまでもオリジナルに忠実に歌われているように感じます。実際には歌唱力も更に増し、表現力もアップしているのでしょうけれど、それでいて昔聞いていたのと同じようなイメージで聞くことができます。昔から完成されていた、あるいはそれに近い実力の持ち主だったのだと思います。
私のおぼろげな記憶では、美空ひばりさんなんかもそうだったような気がします。(違うかなあ)

そして、我らがサッコさんの最近の歌にはオリジナルを大きく超えた、新しい曲としての感動をおぼえます。単なるテクニックだけではなく、体の奥から湧き出てくる表現力とかパワーを感じますよね。心の底から歌いたいというエネルギーが湧き、それが声となって吹き出ているって感じでしょうか?
だからみんな今でもサッコさんに引き寄せられて、スケジュールを調整し、遠いところまでライブやイベントを見に行くのですよね。

==== 完 ====

単なる日記:救急の日

今日9月9日は「救急の日」でした。うちの会社にポスターが貼ってありました。救急の日は、昭和57年に救急医療及び救急業務に対する国民の理解と認識を深め、かつ救急医療関係者の意識高揚を図ることを目的として定められました。(ウンチク)

美咲は小学校6年生のときに救急車にお世話になったことがあります。
GW初日に自転車で急な坂道を下っているときにコケて脳震盪(のうしんとう)を起こし、気を失ってしばらく道路上に寝ていました。大勢の人に見つめられる中、救急車に乗せられる瞬間をおぼろげに記憶していますが、次に気がついたときには病院のベッドの上でした。そのまま入院です。今でもそのこける瞬間のことは思い出せません。ただ、ブレーキを握らず猛スピードで坂を下っていたことまでは覚えています。そのときのことが思い出せるまで退院できないと言われたのですが。。。 そのGWは病院で過ごしました。しかも退院前日にひどい風邪を引いて40度の熱をだし、外科病院から内科病院へのはしごになってしまいました。
ちなみにうちの父親はこの冬インフルエンザにかかったときに救急車で運ばれたそうです。珍しい。

皆さん、自動車だけではなく、自転車の運転にも気をつけましょう。

このときの脳震盪が最近の「記憶がない!!」症状の原因かなあ??

=== 完 ===

単なる日記:記憶がない!!

今日はある原稿(もちろん美咲作)を投稿しようと思っていたのですが、自分の中であまりに驚いたことが起こったので日記として書こうと思い、その原稿の公開は後日にすることにしました。

さて、その驚いた出来事とは・・・

過去の経緯
複数のCDから特に好みの曲を抜き出して1枚のCDにしようと思い、車に積んであるCDを降ろすことにしました。車には6連装のCDドライブが搭載されています。そのマガジンを今週の火曜日に取り出して部屋へ持ち帰りました。そして少し仕事が早く終った水曜日の夜に、そのうち2枚から曲を選んでリッピングしました。
 注)サッコさんのCDではありません。

そして今日:
続きをやろうと思って3枚目のCDをマガジンから取り出そうとしたら、なんと3枚目のCDがありません!! 車から降ろすときに落ちたのだろうか いや、そんなに簡単に落ちるはずがない!!! しばらく考えて、もしやと思いパソコンのCD(DVD)ドライブを開けたらちゃんとそこに入っていました。「おかしいなぁ」と思いつつも、「まあいいか」と思い直して、リッピングを始めようとしたところ、おや、既にハードディスクにリッピングしたファイルがあるではないですか。「いったいどうなっているんだろう!?」 どうしてもそんな作業をしたことを思い出せません。まさか家族がそんな作業をできるはずもないし。。。
はっきり言って自分がすごく怖かったです。

それでも気を取り直し、火曜日にリッピングした曲を並び替えようとしたら、なんとこれも既に思ったとおりに並んでいるではありませんか。そういえば、こちらの方はそんな作業をした記憶がないでもありません。

そういえば、以前には「サッコい Every thing」に記憶のないままコメントを書いたこともありましたね。

この歳でもうボケが始まっているのでしょうか? 誰か助けてください(苦笑)

 === 完 ===

美咲のレコード・歌謡曲・歌手遍歴紹介シリーズ3

ここでもまだまだ「ひまわり娘」のレコードを買う前の話ですが、ここからは美咲が中学生の頃の話に移ります。

まず、いきなり特別な曲から。美咲が中学時代によく口ずさんでいた歌です。
 「みかんが実る頃」 藍美代子 1973年
   中学のマラソンの練習の時間にはいつもこの歌を口ずさみながら走っていました。
   藍美代子さんは、オーディション番組『あなたならOK!』の第一回の優勝者です。
   現在もパブスナックのオーナーおよび歌手として活動中だそうです。知らなかったです。
   やはり一度歌手をやった人は、なかなか歌から離れられないようですね。

ここから、本格的なアイドル時代に入ります。

麻丘めぐみ (前回とダブります)
   歌唱力的にはもう一歩でしたが、歌(作品)は好きでした。髪型も。
 「芽ばえ」 1972年  デビュー
   デビュー時にはそれほど感心を持っていませんでした。
 「女の子なんだもん」 1973年
   小学校で気になっていた女の子が学校の廊下でこの歌を歌っていました。胸キュンです。
 「わたしの彼は左きき」 1973年
   これはあまりにヒットしたので、皆さんよくご存知でしょう。
 この後も・・・

あべ静江
   学生の頃は、東海のレモンちゃんと呼ばれていたとか。その頃のことは知りませんでした。
 「コーヒーショップで」 1973年5月  デビュー。 きれいなお姉さん、でした。
 「水色の手紙」 1973年9月    ん~、色っぽい。 紅白歌合戦でも歌いましたね。
   『お元気ですか? そして今でも赤組が勝つと言ってくださいますか?』
   とかなんとかセリフを変えてましたよね。
 この後も・・・

キャンディーズ
   結局普通の女の子には戻れなかったのですが、その後のことは気にしていません。
   『ドリフの全員集合』に出ていた頃は初々しくてかわいかったですよね。
 「あなたに夢中」 1973年9月
   このときから目をつけていました。
 「そよ風のくちづけ」 1974年
   でもこのあたりはあまり売れませんでした。

  === この辺りからは、「ひまわり娘」より後の曲になります。
 「危い土曜日」 1974年
   この曲もあまり知られていないでしょう。
 「なみだの季節」 1974年
   この曲までは、スーちゃんがメインでした。
 「年下の男の子」 1975年 キャンディーズ初のBEST10入り
   この曲からランちゃんが真ん中になりました。 戦略変更で大ヒットです。
 この後も・・・解散まで。

ここまでは、美咲がレコードを買う前の時代でした。

シリーズ3 完

美咲がたくさん読んだ本の作家紹介その2

2人目の紹介です。

■佐藤愛子さん
 ポーラテレビ小説「愛子」の主人公となった彼女。詩人サトーハチローを兄に持ちます。
 1969年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞しています。が、私はこれを読んでいません。特にすごく面白いというわけでもなかったのですが、高校時代に何となく何冊かの本を買って読みました。冊数としては結構読んだと思うのですが、残念ながらこれといって記憶に残っている作品はありません。

今回は短くまとめてしまいました。(書くことがなかっただけですが・・・)

シリーズ2 完

サッコシングルコレクション

美咲は日曜日にサッコさんのCDの中からシングルA面の曲をクリッピングして、シングルA面コレクションを作成しました。
所有しているCDに入っている曲から選んでシングルの発売順に並べます。
ただし、「雨の中に消えて」「たそがれに愛をこめて」と「明日なき愛」は特別に入れました。
それから、「つぶやきあつめ」はアルバムバージョンに入れ替えました。(これは美咲のこだわりです)
すると次のような順になりました。

 010-ひまわり娘
 020-夢みる頃
 030-木枯しの二人
 040-青い麦
 050-乙女のワルツ
 060-冬の星
 065-雨の中に消えて
 070-きみ可愛いね
 080-いい娘に逢ったらドキッ
 090-想い出のセンチメンタル・シティイ
 095-たそがれに愛をこめて
 100-青い鳥逃げても
 110-愛のシルフィー
 120-何が私に起こったか
 125-明日なき愛
 130-寒い夏
 141-つぶやきあつめ(アルバムヴァージョン)
 150-未完成
 160-愛したくないのに
 170-リトル プリンス
 180-男嫌い

これをCDに焼いて私だけの「サッコシングルコレクションCD」を作りました。
さて、今日の朝から車でこのCDを聞いたところ、面白いことに気がつきました。
1曲目の「ひわまり娘」が終ると、自然に頭の中に「夢みる頃」の前奏が湧いてきます。
そして、「夢みる頃」が終ると、自然に「木枯らしの二人」の前奏が浮かんできます。
「木枯らしの二人」が終ると、♪らんらんらんらら・・・♪と「青い麦」の前奏が浮かんできます。
「青い麦」が♪ちゃんちゃん♪と終ると、♪~~~つらいだけの初恋♪の部分が頭に浮かんできます。
完全につながって記憶しているわけです。
これは何故だろうと考えてみると、昔、同じように、レコードからカセットテープへ録音して
まったく同じ曲順のシングルコレクションテープを作っていて、いつもそれを聞いていたからに他なりません。

レコード+プレーヤー⇒カセットテープの時代から、CD+PC⇒CDの時代に変わったということでも、
本質は同じことを繰り返しているんですね。 環境はさらに進んでますけど。。。

次は、別のコレクションCDを作ろうかなあ。
音源はCDしかないのが制約なのです、LPにしか入っていない曲があってもプレーヤがないので取り込めないのです。
その中で何を選ぶかが「ミソ」ですね。

=== 完 ===

単なる日記:眠い一日

昨晩ほとんど眠れなかったので、今日はとても眠い一日でした。
眠れなかった原因はサッコさんとの電話でしょうか? いや、505港南台でも、夏休みの富山でも興奮と気持ちの昂ぶりはあったけど夜眠れないことはなかったので、単なる“いつもの”不眠症かも知れません。昨日の昼間はCDの編集をしたり美咲日記の原稿を書く為にいつになくたくさんの曲を聴いたので、その影響もあったかも知れません。

会社では、午前中は先週末に溜まった問題の対応に追われていたので気が張って結構持ちこたえましたが、午後はエネルギーが切れかかりました。他部門との打ち合わせの席で欠伸(あくび)ばかりしていました。やばい、やばい。
昨日は一晩中部屋の窓を開けていた為か朝方ちょっと寒気がしていたのですが、午後になってそれがぶり返してきました。やばい、やばい。
昼食時に室外へ出るので汗をかいて、部屋に戻るとエアコンが効いているという環境なので体がかなり冷えました。やばい、やばい。
美咲日記もちょっと一休み・・・ になってないか。。。

昨日の出来事を会社でも言いふらしたい衝動を抑えながら過ごした一日でした。ちょっとだけ話したけど・・・

=== 完 ===

単なる日記ではなくなった今日の美咲日記:今日は青山ライブの日

今日9月3日は青山ライブ「阿久悠を唄う」の日でした。
美咲は行くことはできませんでしたが、その代わりヤマトさんの配慮のおかげでライブ後のふれあいタイムに電話で “最高の形で” 参加させてもらうことができました。その “最高の形” とは・・・
 # ご存知ない方のために・・・ヤマトさんとは、ひまわり隊のお兄さん的な世話役兼引率者のような方です。

今日はライブが終って二次会(?)への移動時にヤマトさんから電話がもらえるということになっていました。が、よく考えてみるとライブの終了時間がわかっていませんでした。とりあえず午後2時半まで待っていましたが、子供達を車で図書館へ連れて行く約束だったので2時半頃に家を出て車で図書館へ向かいました。
で、2時45分(運命のとき)、あと角を2つ曲がれば図書館の入り口というところで、ポケットの携帯が鳴り出したので車を道路の端に寄せて停まり、電話に出ましたが私としては結構慌てていました。で、「今運転中なので2分後にこちらからかけ直します。」と言ったにもかかわらずヤマトさんは「ちょっと待ってね」といって誰かと電話を代わろうとしているではありませんか。どうしようと考える間もなく電話の向こうから「サッコで~す」という声が。とっさに状況が理解でしませんでしたが、次の瞬間には舞い上がってしまい、そこから後の会話はほとんど記憶していません。「この間(富山のこと)はありがとう」と言われて、「いいえ、こちらこそ」というような会話と、「今ライブが終って皆と話をしているの」ということを聞いたような気がしますが。。。
後から考えると「お疲れ様でした」という言葉をかけたかったとか、「本当はライブに行きたかった。出張が中止にならなければ行けたのに・・・」という話をすればよかったとか、思ったのですが、そんな余裕はありませんでした。ちょっと後悔。。。
それにしても、とても超ハッピーなできごとでした。こんなこと、普通では考えられないことです。
電話を聞いていた子供に「誰から?」と聞かれ、「伊藤咲子!」と答えるときの『お父さんってすごいだろう』という気持ちは何にも変えがたいものがありました。(ヤマトさんの声も聞こえていたようですけどね)

これで「出張中止のショック」から立ち直ることができそうです。
サッコさん、ヤマトさん本当にありがとうございました。

あれ本物のサッコさんですよね。中島マリさんのモノマネでドッキリ!!ってことはないですよねぇ、ヤマトさん。

さて、年末に向けて明日からも仕事頑張ろう!!

=== 完 ===

美咲のレコード・歌謡曲・歌手遍歴紹介シリーズ2

ここでもまだ「ひまわり娘」のレコードを買う前の話ですが、小学校高学年の頃の話に移ります。

小学校高学年になると、ご他聞にもれず(?)、天地真理、小柳ルミ子、浅田美代子、だったように思います。私の部屋には浅田美代子さんのポスターが貼ってありました。この際歌唱力は関係ありませんでした。ちょっとお姉さんにあこがれていた時期でしょう。

天地真理  多分、その当時は可愛いと思っていました。
 「水色の恋」 1971年
   この歌を歌うと、なぜか小学校の運動場で遊んでいた風景を思い出します。
 「ひとりじゃないの」 1972年
 「虹をわたって」 1972年
 「恋する夏の日」 1973年 
   作品がよかったですよね。歌唱力は?でしたが、可愛いと感じていたのだと思います。

小柳ルミ子  歌唱力!に尽きます。
 「わたしの城下町」 1971年
 「瀬戸の花嫁」 1972年
   このころは田舎のお嬢さんの雰囲気でしたよね。当時、今のようになるとは想像できませんでした。

浅田美代子  歌唱力は関係ない!です。
 「赤い風船」 1973年  
   家にあったオルガンでメロディーだけ音を拾って歌いました。
   今は可愛いおばさんになってますね。

この頃まであまり「アイドル」という存在としては意識していなかったように思います。

そして、
麻丘めぐみ
   歌唱力的にはもう一歩でしたが(ライバルは森昌子ですからね)、歌(作品)は好きでした。髪型も。
 「芽ばえ」 1972年  デビュー
   デビュー時にはそれほど感心を持っていませんでした。
 「女の子なんだもん」 1973年
   小学校で気になっていた女の子が学校の廊下でこの歌を歌っていました。胸キュンです。
 この後は中学時代に入るので、麻丘めぐみは次回に続きます。

このシリーズはまだまだ序の口です、この後も色々な展開が待っていますのでお楽しみに。(ちょっと期待を持たせすぎですが)

シリーズ2 完

単なる日記:今日から9月

さて、今日から9月です。そして今日9月1日は「防災の日」でした。「防災の日」は関東大震災の教訓を忘れないようにと1960年に制定されました。美咲が生まれるちょうど5ヶ月前です。(だからどうということもありませんが・・・)
地震といえばサッコさん、地震が起きないお祈りをしておいてもらえましたか?

昨日の雨ですっかり気温も下がりほんの少しだけ秋が近づいている気配を感じられるようになりました。季節の変わり目、皆さん健康には気を付けましょう。

それでは、9月もまたサッコさんを応援していきましょう。(903青山 行けないけど・・・クスン)

 === 完 ===

女の歌

最近のトラックバック

ディスコグラフィー(アルバム)

  • <small>木枯しの二人 伊藤咲子  歌謡デラックス</small>
    アルバムのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

<big><b>ディスコグラフィー(シングル)</b></big>

  • <small>(番外)セブンイレブンファミリーソング「友達になろう」(非売品)</small>
    シングルのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

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