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ディスコグラフィー(アルバム)

  • <small>木枯しの二人 伊藤咲子  歌謡デラックス</small>
    アルバムのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

<big><b>ディスコグラフィー(シングル)</b></big>

  • <small>(番外)セブンイレブンファミリーソング「友達になろう」(非売品)</small>
    シングルのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

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某サイトにて サッコの見解Ⅱ ‘たら’‘れば’

‘たら’や‘れば’は、過ぎた事に対しての、いい訳のようで、あまり多用したくはないのですが、ことサッコに関してはたくさん使いたくなってしまいます。例えば
①<中三トリオの存在がなかったら・・スタ誕の顔イコール中3トリオのイメージが強いですからね。後を追うようにデビューしたサッコですが、ガッチリ固定したバリケードを打ち破るほどには彼女たちに追随できませんでした。それでもあの当時にしてはだいぶ健闘したとは思います。しかし、トリオの存在がなかったら、サッコのポジションは、もっとスポットが当たっていたのではないでしょうか>
②<逆にサッコが中三トリオのメンバーだったら・・半分人気が確約されたようなものではなかったでしょうか>
③<デビュー時の所属事務所が違っていたら・・例えばあのホ○プロに所属していたら怖いものはない?サッコの復帰をこちらのHPに辿り着くまで知らなかった私のような者がいるかと思えば、森昌子さんの大々的な涙の復帰劇とはいかにも対照的。この違いは何?と言いたくなっちゃう。>
④<デビュー曲が『ひまわり娘』でなく、『木枯らしの二人』路線から入っていれば・・デビュー時のイメージは相当印象に残るもの。もうサッコには一生涯このキャラクターがついてまわるでしょう。しかし、デビュー時の、このキャラが相当強いため、世間一般の皆さんは、彼女の歌唱力の実力があるのはわかってはいるけれど、ひまわり娘の可愛らしいイメージが頭にあって、認めてはいるけれど、認めなくてもいいみたいな少し矛盾するイメージのまま、大人の聴かせる歌のイメチェンの時期が微妙にずれていってしまったのではないでしょうか!?木枯らし・・から入っていれば、また違ったサッコ像が創り上げられていたのかもしれないと思うのですが・・この考えには強い反感がありそうでこわい気がしますが>
⑤<容貌がもう少し見劣りしていたら・・聴かせる歌だけで勝負できたかも>
⑥<歌がもう少し下手だったら・・もちろん凄い歌唱力はサッコの真骨頂ですが、アイドル性だけでも充分いけたと思います。きっと、可愛らしい笑顔が素敵なサッコちゃんのイメージで、売り出していたかもなんて思ってしまいます。いつの時代でも、少しぐらい歌が下手でも、可愛らしさだけで存在しているアイドルがたくさんいるのは悔しいけど事実です。でもそんなタレントは歌では通有しないから、バラドル(もう死後かな?)として、バラエティ番組などに出ているか、あるいは演技力があれば女優としてドラマや映画に出て生き残っている人もいます。それも一部の人だけです。但し、この‘たら’に関してはサッコがならないでよかったと思います。いちばんありえない‘たら’ですね。歌が下手だったら、もちろん今サッコはありえなかったと思いますしね。私もサッコの歌唱におったまげてファンになった1人ですからね。>
⑦<淳ぺー、サッコ、ヒロリン(デビュー順)で、マジに3人トリオを組んでいれば・・・私も大好きな3人娘。中3トリオはデビュー順に、同い年という事で、スタ誕スタッフが番組の顔とイメージ、そして話題性という事で組ませたと思いますが、(当初はホ○プロが3人娘として、昌子、百恵、石川さゆりさんで組ませたかったとか・・)当時、仲が良くて明星の連載小説まで書き上げた3人が組んでたら、なんとにぎやかで楽しかったでしょう!私まで嬉しくなります。3人一緒だと、華もありますしね☆など等。

まだたくさん、サッコに関する‘たら’‘れば’はありますが、きりがないのでまた機会があれば上げてみたいと思います。

なぜ、この‘たら’‘れば’を思いついたかというと、前回リンクした、ナツメロ喫茶店の~カルトマンドゥ通信15『ひまわり娘が咲いた頃』を閲覧して考えたからです。

こちらのサイトを、批判などする気は毛頭ありません。批判、暴言、中傷はネチケットに反しています。しかし、WRITERの中崎氏がお書きになっているB級という書き出しにはちと疑問を感じました。巷ではA級、B級などという言い方をしているらしいですが、私はこの言い方は好きではありません。これはサッコをB級に当てはめて書いていたからそう思ったのではなく、誰もがビッグになる為、頑張っている人達に対してランク付けするのは失礼な気がするのです。ただそれだけの事ですが、いつからこんな言い方をするようになったのでしょうね!?中3トリオ等に比べれば、サッコの売り上げトータルは残念ながら及ばなかったかもしれません。が、歌唱力に関しては堂々のA級歌手だと思います。これだけは譲れません。(笑)次回続きます。

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某サイトにて サッコの見解Ⅱ ‘たら’‘れば’を参照しているブログ:

コメント

「ナツメロ喫茶店」 中崎氏には、今回のページを載せる前に、サイトのサッコページに対して考えた事を述べさせていただきますと、連絡フォームへメールを入れておきました。

サッコさんのことと少し離れて申し訳ないですが、私はよく、あの人との出会いが無かっ”たら”と考えることがあります。高校時代に放送部の先輩がパソナリティをやっているラジオ番組を聴いたことで、ラジオ番組への投稿や(小さな)追っかけを始めましたが、もしこの人との出会いが無かったら、ラジオ番組にあまり縁がないままだったかも知れません。高校生活もまったく違ったものになっていたことでしょう。
大学時代、たまたま同じ下宿になった同期生。彼との出会いによって大学生活が決まったかも知れません。
就職して最初に仲良くなった同僚、もし彼にあっていなかったら就職後の生活はまったく違っていたと思います。ということは結婚などもまったく変わっていたかも知れません。(書いてて怖い)
と前置きが長くなりましたが、もしも伊藤咲子という歌手がデビューしていなかっ”たら”、さてどういうことになっていたでしょうか?同じ時代の別のアイドルのファンになっていたかも・・・。毎日ドラポンを聴くこともなかったし、月刊「明星」を毎月買うことも無かったかもかも知れないし、生活自体がまったく違ったことでしょう。
芸能界も少しは違う展開になっていたかも・・・
で、最近のことで言えば、少なくともひまわり隊の皆さんやここのサイトに登場されている皆さんとの縁もなかったですよね。ここ3ヶ月あまりは空白の期間でしたね。
たまたまスタ誕のデビューコーナーを見た(といっても毎週欠かさず見ていたような気がしますが)ことで人生が大きく変わったなあ、と思います。
長文、失礼しました。

美咲さんの、‘たら’‘れば’は長く続いているんですね。人生は分かれ道みたいなもんで、ひとつの選択がその後の人間の生き方まで決定づけられる場合もありますからね。

>もしも伊藤咲子という歌手がデビューしていなかっ”たら”、さてどういうことになっていたでしょうか?同じ時代の別のアイドルのファンになっていたかも・・・。毎日ドラポンを聴くこともなかったし、月刊「明星」を毎月買うことも無かったかもかも知れないし、生活自体がまったく違ったことでしょう。

私も全く同感ですね。

>少なくともひまわり隊の皆さんやここのサイトに登場されている皆さんとの縁もなかったですよね。ここ3ヶ月あまりは空白の期間でしたね。

伊藤咲子という歌手がいてくれたおかげで私たちも知りあえたんですからね。サッコに感謝、感謝です☆

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