女の歌

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ディスコグラフィー(アルバム)

  • <small>木枯しの二人 伊藤咲子  歌謡デラックス</small>
    アルバムのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

<big><b>ディスコグラフィー(シングル)</b></big>

  • <small>(番外)セブンイレブンファミリーソング「友達になろう」(非売品)</small>
    シングルのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

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2007年1月

サッコの愛車は・・・

1月18日付けのvol.98 SAKKOMANIA*5でKAZUKO氏がテーマにとりあげていた<車>ですが、当時サッコが「あいつと私」で撮影用に使用していた車は赤いRX-〇と判明いたしました。(○の部分は皆さんおわかりですね。広島の某マ○ダ社で現在は生産してないとの事。今は○の部分の数字がひとつ増えてガラっとイメージチェンジしました。)では当時、実際に彼女が私生活で使用していた車は何だったのでしょう?

昨年9月20日の「思い出の紅白 花巻温泉 番外編Ⅰ」でも記しましたが、にわかレポーターとしていろいろご本人に質問したいと思っていました。しかし、それは無理というので渡辺Mさんが代わりにご丁寧に紙に書いて質問に答えてくださいました。その時サッコは11時の部が終わり、楽屋かご自分の部屋へ戻ってました。その中で、昭和55年か56年頃の愛車の車種とカラーをおしえてくださいとたずねました。そしてその回答は、ホ○ダ社のプレ○ュード、カラーは‘白’という事がわかりました。下記の写真は昭和57年製という事ですが、だいたいこのようなスタイルだと思います。という事は、サッコが私の地元のミニコンで聞いた覚えがある“赤いクルマ”というのは聞き違いだったという事になります。なんでそう聞いたんだろうと今でも不思議に思います。もしかしたら、こちらでも再放送をしたのを見て、ず~と頭の隅にこびりついていたのかもしれません。そんなイメージって結構残るものですね。しかし、実際サッコには赤いクルマは似合ってるようにも思います。ドラマではRX-〇に乗っていたというので、実際の愛車も派手な車を想像していたのですが、結構オーソドックスな車に乗ってたんですね。昨年9月当時はメル○デ○ベ○ツのEクラスに乗っていたようですし。堅実で、しっかりした物を厳選するサッコちゃんらしい気もします。(でも当時としては最新型だったのかもしれませんが)皆さん、おわかりいただけたでしょうか?

それとドラマでの思い出話などがありましたら、お聞かせくださいと質問しましたら、「このドラマはロケ中心でしたので、全国各地に行った覚えがあります。中でも北海道のロケで『トド』の肉を食べたコト」との事です。でも『トドの肉』って一体どんなもんでしょうね!?Img1058514741a
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当たり年?

去年は電化製品にことごとく嫌われた年だった。まずは電子レンジ、使用中、中がピッと光ってショートして危なかったので買い換えた。次があのデジタルオーディオプレーヤー、はんだの不具合とかで修理、そしてまもなくUSBの差込口が本体に入っていかなくなりすぐにまた修理に出した。

そしてあの年末の煙もくもくはお知らせしたとおり。そのせいで、パソコンまでイカレテしまった。そのパソコンも今はN社だが、実は買ったのはT社だった。それも8月に買ったばかり。これは故障というより最初からそんな不具合だったのだろう。DVDやCDを読み込んで、それを書き込む仕事をなさないのだ。それで店側が、N社と交換してくれた。そのついでにひかりフレッツに切り替えた。

その次が二階にあるクーラー、これは他の部屋にもあるので我慢してたが、前々から具合が悪かったので買い換えた。なにしろ20数年も前の製品だとの事。その次が18年くらい使ってた掃除機、これも掃除中、突然止まってしまう。だましだまし使ってたが、ついに寿命らしい。これも買い替え。

これは電化製品といえるかどうかわからないが、ガスコンロの魚を焼く部分の中があまりに黒くて火が大きくなってしまうのでこれも危ないなというので買い換えた。(使うたびに掃除はしているが)

その次があの煙もくもくだ。年末にお知らせしたとおり、パソコンを修理にだした。買ってまだ4ヶ月ちょっとだというのに・・・極めつけはCD、MD、カセットテープのオーディオコンポ、年末に起こった事だがこれも15年くらい使ったな。CDの5連ジャーが機能しなくなったのだ。CDを入れて再生にしてもできない。CDをとりだそうとしても止まってしまい、中からとりだせない。これは壊して中のCDを取り出すしかない。やむなく主人にかなづちで叩いて、中からCDを取り出してもらったが、もちろんコンポは分解されてみるかげもない。

今はそのコンポに変わる製品を考え中だ。CDはDVDチューナーでも聞けるから(でも音が悪い)SDカードや直接USBに繋げて聞けるコンポを買おうか、今思案中だ。通販では海外の安い製品がたくさん出ている。しかしこれだけ続くと怖くておいそれと買う気がしない。やはり近くの家電店で、何年間かの保証付きで直接商品を持ってきてここがどうも具合が悪いと口で言える所から買うほうがいいのか大いに悩みに悩んでいる ハァ━(-д-;)━ァ...

例のデジタルオーディオPは2度も故障して、パソコンまで犠牲にした怖いブツなので、まだ1年ほどしか使ってないが、売りに出してしまった。もったいなかったが、もう聞く気がしない。安全には変えられないしね。それで正月に、別の新製品の1GBプレーヤーを買ったが、きのうやっと120曲ほどを入れた。もちろんサッコソングも(*゚▽゚*)果たして今度はどうかな?

結局、去年、電化製品でお役ごめんになったのは

デジタルオーディオプレーヤー→2度修理、そしてパソコンをも犠牲にした。

電子レンジ→中からピッと火が出たというよりショートかな?

パソコン→買ったばかりなのに、CD,DVDを書き込めない。

掃除機→突然止まる事が多くなった。

クーラー→涼しくない。途中で止まる。

ガスコンロ→一応乾電池を入れるから電化製品としておこう。あの今流行のシステムキッチンなどは家のつくりで考えられないので買い換えるしかなかった。でも憧れるなぁ。あと何年後かには変えられたらいいな o(゚ー゚*o)(o*゚ー゚)o

CD,MD,カセット付きコンポ→CDが聞けない、中からCDがとりだせない。

わかりやすくいうと以上である。と思ってたら1週間ほどまえから居間にあるストーブの具合が悪い。すぐに火が着かないし、着いても変な音がするので今は使用禁止中。これも十数年使ったしな。でも掃除をしてみればなんとかなるかも?

しかし、こんなに電化製品から呪われた年は生まれてこのかたなかったな。でも家電にいたっては長い間の使用で、寿命だったのがちょうどこの年当たったのかもしれない。続くときは続くもんだとはよく耳にする。それでもちょっと、ジンジラレナ~イ年だった。

今度は冷蔵庫あたりが危ないな。いつまでもつかな?まだ壊れそうな予備軍もあるかも・・・去年はかなり電化製品に予算を使ったので、今年は刺激を与えないようそう~と優しく慈しみながら使っていこうっと(笑)

と、ここまで考えて‘待てよ’と思った。これはきっと去年、当たり年だったのではないかと!だったら宝くじやロトシックス、競馬、競輪などを買えばひょっとすればひょっとしたかも。。。誰かから聞いた事がある。いい事ばかり続いた時ばかりでなくて、運が悪くても、怪我をしたとか今まで経験したことがないような事が続いた時なども宝くじを買うチャンスだと。そっか、惜しい年を逃したかも・・・
でもまだ去年の尾をひいてるかもしれない。よし、まだ見てない年賀状の番号を見てみよう。せこい私、でもこんなふうに期待を持てばだめなんだなぁ、あくまでもさりげなく。これが難しい 苦笑

追伸:まだあった。アイロンです。熱くならないのです。なんちゅうー年だったんや (@д@)/?.まじっっっ!””

別写真アップしました

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前回の‘夢をかなえるために’の写真のアップがわかりづらかったので、別の写真をアップしました。

http://www.omajiro.com/ 大間さんのサイトです。大間組の安藤兄弟、桜田まことさんなどが載ってました。それから難病や障害を持つ子供たちの家族キャンプを、大間さんはボランティアとして出演していました。

 

夢をかなえるために

Spc010002 去年の12月、といってもまだ先月なんですが人気グループの元オフコースのメンバーで、ドラムを担当していた大間ジローさんが息子が通っている小学校で「トーク&ライブ」を行いました。市教委が勧める学習活動の「トライアルサポート事業」で招いたもので、大間さんは「夢をかなえるためには言葉から取り組もう」と呼びかけました。このレポートを、さあやろう、やろうと思いながらなかなかペン(タッチボード?)が進まず1ヶ月以上経ってしまいました(反省)

’06年12月1日、学校の体育館にて、同校の先生が、「オフコースを知ってらっしゃる方は手を上げてください。」と言うと、児童達は約半分、大人達は全員で、先Spc010011 生「知ってる生徒は半分くらいかな?お父さん、お母さんは100パーセントですね」と微笑みながら言い、まずはオフコースの歴史として過去のライブビデオを見せてくれました。大間さんは「はじめに言葉あり」というヨハネ伝を引用し、「お父さんもお母さんも言葉はその人に返ってくるもの。ですから言葉を大切にしましょう。頭が薄くなってきたお父さんや体重を気にSpc010009しているお母さんに、直に言うのではなく、やんわりと気分悪くさせない言い方にしましょう 笑」と、こんな具合で場をユーモア溢れるトークで盛り上げてくれました。ライブの方は大間さんはドラムで歌いませんでしたが、桜田まことさんが懐かしのナンバー「さよなら」以外に宮崎駿監督の名作アニメ映画「天空のSpc010012 Spc010020 Spc010025 城 ラピュタ」のエンディングテーマ曲「君をのせて」や「大きな古時計」「夜空ノムコウ」やビートルズの歌(ごめんなさい、タイトルがわかりません)などを披露してくださり会場は大いに盛り上がりました。そして最後のビートルズの曲では、保護者も立ち上がって写真のようなノリになりました。最後に同校の5年生の男女一人ずつの児童が大間さんに花束を渡し、明るく手を振って、会場の体育館を後にしました。Spc010029 Spc010031

○大間さんは県北部、小坂町出身。高校卒業後、ドラマーとして上京しオフコースに入った。ボーカルの小田和正さんが歌う「さよなら」をはじめ「愛を止めないで」などでミュージック界をリードした。解散後、大間さんはアーティストとして活躍する一方、音楽プロデューサーとして活躍。秋田市に移住した後も県内でトークライブを開いている。会場となった体育館には4年生から6年生と父母、職員合わせて6百人が集まった。大間さんはヨハネ伝の「はじめに言葉あり」を引用し、「言葉には良い言葉と悪い言葉がある」「日常生活でいやなことがあっても、ぐっとこらえる。『ありがとう』といえる人になろう」。そして、「自分の口から出た言葉は必ず返ってくる。夢をかなえるためにも、まず言葉が大切」と訴えた。ライブには仙北市田沢湖出身の安藤兄弟こと兄の恵介さんと弟の陽介さんが和太鼓と篠笛で出演した。そして、田沢湖をイメージして作曲したSpc010037 Spc010038 「四季彩」などを演奏した。続いて大間組のメンバーの桜田まことさんがピアノで加わり4人が賑やかに「祭り」などを演奏した。後半にはメンバーの木村孝明さんがギターで登場し5人で「さよなら」を熱唱。ライブを盛り上げた。会場で聴き入る父母や先生にとって懐かしいオフコースのSpc010040 曲に感動。「この歌を聴くと、青春時代を思い出します」とエールをおくっていた。大間さんは同校の5年生が来年、最高学年になるのを記念して制作する学年歌に協力する。児童から集めた詩をもとに歌詞と曲作りをするもので、今回のライブは大間さんと児童の出会いの場で、来年度に向けて始動した。○<以上、地元の新報『秋田民報』から>

※“ディナーショー”の記事にも記しましたが、サッコもこういう大人も子供も一緒になって楽しめる、あるいは心の奥底に刻み込まれている誰もが一緒に懐かしく感じてくれる触れ合いライブをいつか全国で歌ってもらえる時機がくる事を切に願いたいと思います。彼女なら、全国の小学校の子供たち、あるいは恵まれない子供や健常者以外の子供たち、また全国のお年寄りや各施設にいるたくさんの方達などに、いつまでも記憶に残る“心”の歌を歌ってくれるものと思います。

2006年 紅白感想

毎年暮れの年末行事といえば、大掃除、おせち料理作り、年越しそば、それに紅白歌合戦を見て年を越すというのが戦後からの日本の伝統的な行事でした。しかし、その伝統行事も全体的に薄れかけているようですが、なかでも紅白を見るというのは最も著しく薄れつつあるように感じます。

2006年の‘紅白’も例外でなく、ここ数年はずっと裏切られているように感じます。というより、自分がそれだけ年齢を重ねて若い頃のように最近の歌を覚えられなくなってすうっと耳に入ってこないだけかもしれませんが、ここ数年の紅白の低視聴率を見ればあながち違うともいえないように思います。

2006年紅白の感想は、一言でいって「懐メロ紅白」というかんじが否めませんでした。まず知ってる曲だけでも「祝い酒」 :坂本冬美:「兄弟船」:鳥羽一郎 「浪花節だよ人生は」 :細川たかし 「愛しき日々」 :堀内 孝雄 「長崎は今日も雨だった」: 前川清 「ふたり酒」 :川中美幸「まつり」: 北島三郎 などの演歌の方が多かったように思います。

かといって若いヤング層は、最近のヒット曲を彼等も懸命に歌ってはいるのでしょうが、なんかぴんとこないというか、顔も曲名も一致しないし歌もなかなか覚えられません。自然に耳に入って心に響く若い歌い手さんが見当たらないのです。それでも私がちょっとだけうまいなあと思っているのは男性ではコブクロ、女性では私より少し下ですが、でもだいたい同世代のDREAMS COME TRUE などぐらいです。

そして復活組じゃなく、こちらも初出場というので驚きましたが「壊れかけのRadio」 の徳永英明などは私も若い頃好きで、1度だけ地元のコンサートへ行った事があります。そして、いがいや「PRIDE」 の今井美樹さんなどがなぜ出たの?というかんじでした。このへんの年代はだいたい私と同じくらいで嬉しい方も多いかもしれませんが、それならサッコと同年代の方達をもっとだしてよ、と言いたくなっちゃいます。森昌子さんが、今年ちょっと話題になった出来事で、涙の大復活を果たしましたが、演歌系だけでなく、もっとポップス系をだしてくださいね、とこれも紅白に一番お願いしたい。

自分の中では、サッコが出場した昭和51年の前後5年の約10年間くらいが一番わくわくした楽しい紅白だったように思います。あの頃のように大人から子供まで一緒に見て楽しめるというのは今の時代に難しいかもしれませんが、出場メンバーをベビーブームに生まれた団塊の世代が楽しめるような歌手がもっと多ければ、見る人が増えるのではないのかな?といつも思います。その世代の方達がもう定年退職を向かえようとしてる方が多いし、これからゆっくり人生を過ごそうという世代の方達で人数も多いでしょうから、きっと視聴率が上がるのではないかと勝手に予測してますがどんなところでしょうね?

なんだかんだいって、サッコがでてくれるのがやっぱりいちばん嬉しいし、他はヒロリンや男性では新御三家などが出ていただければもういう事がありません。そうなれば昔の小、中、高校生の頃にもどってウキウキしてしまう私である事は間違いありません。

簡単ではありますが、2006年の紅白歌合戦を見た感想を述べてみました。

 
 

謹賀新年

皆様、あけましておめでとうございます。1年が過ぎるのは早いもので、あっというまに2006年が過ぎましたね。去年は1/8のジョイントに始まり、4月のサッコバースディパーティ、新橋、花巻、そしてディナーショーと、今までサッコは中学1年の時地元のショーで1回、そして18歳か19歳の頃1回、その後はテレビや雑誌でしか見る機会がなかったのが、なんと一昨年から去年1年間で計6回もステージを見て、そのうえお会いしてお話しできるなんて、自分でも‘シンジラレナ~イ’年でした。

そして最も自分が驚いているのはこのブログを始めた事でもあります。一昨年の怒涛の書き込みなどもあり、Tokioさんからの勧めもあり始めたわけですが、まだまだ未熟で、このブログの文章なども、あれっこういう書き方でいいのかな?こんな文だと意味が繋がらないかな?へんな表現方法だな、と書きながら迷い試行錯誤しながらのブログですが、皆さんのコメントや応援、励ましの言葉でやる気もたくさん沸いてきます。

今年も焦らず、マイペースでブログを続けさせていただきたいと思います。そしてサッコのファンでありながら、まだまだ彼女を知らない事が多い私ではありますが、皆さんの情報を得ながら勉強したいと思います。どうか今年も昨年同様変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。まずは今年のごあいさつまでとさせていただきます。

かなみ