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2006年7月

2006年7月31日 (月)

vol.63 サッコとラジオ*2

昨年8月那珂で行なわれた「第10回ひまわりフェスティバル」でのサッコのミニコンは茨城放送にてOAされましたが、ケータイ撮影がNGだったため画像が一枚もないんですよね。一夫さんとTOKIOさんにねだるしかないかしら?

さてさて今回は勝手にMomoChan(画像)KameSan(レポート)PRESENTS昨年11月19日「ラジオモンスター」に出演したサッコちゃんを追っかけた時の画像ですレポートはサッコ彩図掲示板3575~3577からお借りしました051119001051119002051119003051119004

                                                                                       

                                                                                                         

      

ず~と気にかかっていた、1119の「ラジオモンスタ-」レポ-トを再開します。約20分間の生放送でSAKKOは、ひまわり隊にも、笑顔でフレンドリーに接してくれました。(局の好意で全員スタジオ内での見学OK!)DJとの会話(放送内容)を要約すると ・・
1.「ひまわり娘」 で 御挨拶-山形はこの冬一番の寒さで初雪だがスタジオ内は暖かでひまわりが満開/ひまわり隊のメンバーを忘れず(気づかって)紹介/山形出身になった経緯。(詳細は荒井幸博さんのHP「どっこい山形人」を見て!)/年に一度は山形に里帰り。 
2.「きみ可愛いいね」 で 近況(自己)紹介-1118(昨日)のDショーの様子/昨日は姉もDショーで(4曲)歌唱、今は(ラジオ放送時)母と買い物三昧とか?/山形インの経営者は親類で・・/1119(本日)のDショーのプログラムは、昨日とは異なる普段の内容/きみ可愛いね といつでも言ってもらえる女性でいたい!!/両親、姉、おばさん の紹介
3.「木枯らしの二人」 で、音楽一家のお話し-クラシック音楽一家の中でSAKKOだけ歌謡曲派でハシノシタ 小さい頃、"あんこー・・"と都はるみ  等を歌っていた/ソプラ歌手のおばさんから、デビュー当時、”休んではいけない働きなさい”と言われ、歌手 伊藤咲子に大きな影響があった/昨晩、ひまわり隊の皆さんが”焼酎三昧”したことを暴露(SAKKOはステ-ジを考え、一滴も飲まない!・・プロだね/若い時とは違い基礎から、声楽の先生に通い勉強中!何歳になっても努力する姿勢に脱帽)
4.「乙女のワルツ」 で、デビュー当時の思い出-スター誕生の2度目で合格し決戦大会へ/1回目が”101点で不合格”のコメントに対し、Kさんが102点と修正フォロ-!/再開の大きなきっかけは、このサイトであったと・・・★SAKKO自身もホ-ムペ-ジのファンからパワ-をもらっていることなので、ドシドシ書き込みしたいと感じた一言でした/乙女のワルツは難しい歌、けれども大好きでエンディングでアンコ-ルで歌う/今は感情イニュウもでき、「おとなのワルツ」・・・・として歌唱。
5.「夢見る頃」  で、リスナ-(中学生)からの質問へ返答*◆SAKKOの音域の広さ、維持方法は?◆若い頃には必要としなかったレッスンをし勉強中。(謙遜?)/また、声を毎日出している。特に音譜より高いKeyを出す事!/健康維持≒よく寝て、よく食べる。★SAKKOはお酒をほどほどにし、”夢を売る”商売のためプロポ-ションを維持中!
6.「青い麦」  で、エンデイング*/今後は「クラシカルポップス」で全国を廻りたい/姉と一緒に(姉のプロポ-ション維持も兼ねて)/「大人の魅力のSAKKO」へ ひまわり隊の掛け声でエンディング/最後にリスナ-の皆さんへ SAKKOからサイン色紙(5名)のプレゼント でEND。051119006051119005051119008051119007

       

2006年7月30日 (日)

vol.62 サッコとラジオ

Photo_193サッコとラジオといえば『三菱ドライビングポップス-サッコと歌おう-』が何と言っても最初に来ると思いますが、『ヒロミツ・サッコの歌謡最前線』でもハジケてましたよね。しかしながらサッコファンとして一生忘れることのできないラジオ番組といえば、昨年山形でスタジオの中に入れていただいた「ラジオ・モンスター」の収録です。思えば昨年は、5月と12月の進也君司会FM世田谷の番組をはじめ、7月は石川、8月は那珂、11月は山形へとラジオ番組の追っかけにも行きました。残念ながら赤羽には行けませんでしたけど。…ということで、まずはJA石川かほく主催の『三輪一雄歌の直行便の模様からこの日のメニューは『ひまわり娘』『きみ可愛いね』『愛情の花咲く樹』『青い麦』『木枯しの二人』『冬の星』『青い鳥逃げても』『乙女のワルツ』 スパーク満載050710105071002 05071003 05071004 05071005 05071006 05071007 05071008

2006年7月 9日 (日)

vol.61 愛のシルフィ

先日『ルフィ』なのか『ルフィー』なのか、白盤がほしーいと叫んだところ、さっそく白盤をオークションに提供してくれた方がいらして、先方がたとえ商売であろうと、SAKKOMANIAの私としては非常に嬉しくありがたく思ったのでした白盤と新曲発表の様子です …ということは愛のシルフィー』は『冬の星』のジャケ替えみたいなものだったのかな。。。Photo_191Photo_192  

2006年7月 8日 (土)

vol.60 あの日のサッコ*2

今回はひまわり隊愛知支部yogiちゃんプレゼンツ

初のポートレートは『乙女のワルツ』の頃でしょうか。50年の10月頃に変わった新サインが入っていますね。 続く2枚のポートレートはサッコちゃんが19歳を迎えた頃だと思います。『愛のシルフィ』を歌うちょっと前の時期でしょうか。 カラーの生写真も時期は同じですね。From_yogijpg001 From_yogi_2jpg002 From_yogi_3jpg003 From_yogi_4jpg004

vol.59 AI NO SYLPHY*3

愛のシルフィ』まだたまだ続きます

サッコ彩図掲示板701にて、『愛のシルフィ私的解題?』(許せっ!まるよしサン≧∇≦ 解題になってないし@@;)やってます。

今日は「愛のシルフィ」について。
当時は桃色淑女旋風で日本中が踊っていましたよね。正直、サビから入るからか「木枯しの二人」を彷彿させる「愛のシルフィ」は、「アイドル歌手伊藤咲子」にとっての勝負曲だなと感じました。そして同時に、どうしてサッコちゃんまでが踊らなきゃいけないの、とも思いました。(そう言いながら、今でも♪いいのよそれで…のとこ、勝手に右手が動きます。難しいのはマイク持つサッコちゃんの左手の薬指がリズムに関係なく動くとこ、当時真似して練習しました・笑) 振り付けについては、その翌年でしたか、宏美ちゃんがシンデレラハネムーンでやっぱり踊らされているのを見たとき、時代の流れには逆らえないのかな、なんて首をかしげたものです…。
そしてもう1つ、サッコちゃんに脱少女を感じた時でもありました。EMIがジャケット用に撮影した何枚ものサッコちゃんはキラキラしてて、女の子は恋をするとこんなにも綺麗になるんだなと、勝手にですが、そう思ってました。「青い麦」に続いて二度目のサッコボルテージの爆発。サッコちゃんの歌よりもサッコちゃん自身に対する憧れ度の方が強かった時です。
 余談ですが、三原じゅん子さんが「伊藤咲子さんに似てますね」と言われているのを、幾度か番組などで聞いたことがあるのですが、確かに「愛のシルフィ」を歌ってたころのサッコちゃんと三原じゅん子さんは似てるなと思いました。

写真説明:その①「週刊平凡の記事より」土居先生とサッコ この衣装をひらりひらり 『ひまわり娘』の手くるりも土居先生の振り付けでしたよね。 その②シルフィの衣装でトーク中 その③♪お前も今日からは自由がなくなるよ~ ドイツ語通訳さんお気に入りのとこですよね★Img096 Photo_189 Photo_190

女の歌

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