女の歌

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ディスコグラフィー(アルバム)

  • <small>木枯しの二人 伊藤咲子  歌謡デラックス</small>
    アルバムのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

<big><b>ディスコグラフィー(シングル)</b></big>

  • <small>(番外)セブンイレブンファミリーソング「友達になろう」(非売品)</small>
    シングルのディスコグラフィー。すべてサッコ本人のコメント付きです。

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2006年6月

『純情きらり』 へばと津軽弁

このドラマでは、巨人の二岡選手似の杉冬吾役演ずる西島秀俊さんが津軽弁でいい味をだしている。実際の津軽弁は、現地に住んでいる地元の人達の言葉をよく聞いてみなければ、私でもわからないが、同じ東北弁としては随分頑張っていると思う。訛りでもアクセントに気をつけて、ぼそっと口ごもるようにしゃべるところなどは、東京出身の西島秀俊さんとしてはかなり練習したのだろうと思う。驚く事にその冬吾も“へば”を何度も使っている。この“へば”は一体どの範囲まで使われているのかわからないが、おそらく青森、秋田が中心だろうと思う。これからの3ヶ月間、冬吾のへば言葉を注目して見ていきたい。あっ、それから共通項がもうひとつ。冬吾の昔の許嫁で、心中未遂の相手というのが御崎しま子(みさきしまこ)役演じる光浦靖子さんの存在だ。桜子といい、ピアノといい、へばといい、さらにひまわり隊のメンバーの名まで(漢字は違うが)同じといい、なんか今度のテレビ小説は一味違うぞ。これからの展開が益々楽しみだ。皆さん
もよろしければ『純情きらり』をどうぞご覧あれ。へばまた。

http://www3.nhk.or.jp/asadora/

『純情きらり』  語尾

そしてその舞台となるのは、愛知県岡崎市。(私が好きな某プロ野球球団も愛知県)ここでも名古屋弁というのか愛知弁というのか定かではないが、方言がちょこちょこ使われている。なかでも私が気になったのは‘じゃん’という言い方である。だいぶ前、‘じゃん’は、横浜が発祥の地だと何かの書物で見た事があるのだが、愛知の東海地方まで使われているとは思わなかった。この‘じゃん’はどのあたりまで広がっているのかわからないが、関西区になるともう全国で知られている‘や’そのまた南だと‘けん’(中部や近畿だと思うが広島の美咲さんなら詳しいと思うが)‘けん’は九州でも使われていたと思うが・・調べもしないでいい加減な事は言われないが、各地方でこんなにも方言の語尾が違うのは、世界でもそうないのではないかと思う。小さい国の中では狭い島国の日本ぐらいのものではないのだろうか!ちなみに私が住んでる大仙市は語尾に‘ずね’と言う。(私は言わないが)そして実家のある横手市では語尾に‘しゃー’という。隣の市でさえもこんなに語尾が違うのだ。

『純情きらり』  桜子ちゃん

NHK朝の連続テレビ小説『純情きらり』がおもしろい。元々、このシリーズのファンで、以前は割と見ていたのだが最近は見る機会がなかった。というよりいつ頃からか、特に時間を合わせてまでは、見る気がしなくなっていた。長いこと現代物のドラマが続いたシリーズだが、今回は、昔の古き良き昭和の時代の家族と、音楽をテーマにした構想に仕上げられている。特に注目したいのは、あのド○モのCMや、映画NA○Aなどで知られている主人公の宮崎あおいさんだ。特に美貌の持ち主というほどでもなく、そのへんにいる庶民的なお嬢さんという雰囲気の方で、演技もわざとらしさや嫌味がなく自然体で演じている。最近のドラマといえば、モデル出身の方が多くて、スタイルや顔も整っている現実味が感じられない役者さんが多いなかで、逆に新鮮さが感じられる女優さんだ。そしてその主人公の名前が、[桜子]という名前なのだ。そう。サッコが生まれる前に、お母様が桜の季節にちなんでつけたかったあの[桜子]ちゃんだ。そしてその桜子ちゃんは小さい時からピアノを弾いていて、将来はピアノに携わった生き方をしたいという夢を持つ続けている。小さい頃つけたかった[桜子]ちゃんと、今でもやっているのかわからないが、ピアノを弾いていたサッコちゃんといい、なんと共通項があることか。次回つづきます。

へばちゃん講座 しゃーめる

一昨日、やっと二階のこたつをしまいました。その前の日はストーブでした。ついでに居間ではまだこたつを置いています。えっとたまげた方もいるかもしれませんね。沖縄地方では梅雨も明けて、本格的な夏を向かえようというのに、こちらの地方ではまだこんな様子ですからね。この時期は1年のうちで、じめじめして心まで鬱陶しく感じる季節!低血圧気味の私は頭がぼーとしてきて、体調が不安定になりやすいのです。もう更年期が入っているのかと思ってしまうほどです。(笑)何をするにも①“せあめて”、こやいです。現在専業主婦の私が、働いている皆さんにこんな事を言ったらお叱りを受けるかもしれませんね。②“ぶじょほう”しました。夏物と冬物の衣類もまだ全部入れ替えしていません。あ~①“しゃーめる”なぁ

それでは質問です。
①のせあめて、しゃーめる(決して写メールではありませんよ 笑)
②のぶじょほうとはどういう意味でしょうか?
今回は簡単かな!

※もっと早くお伝えしておくべきでした。私が使っている秋田弁は、主に県南部の横手盆地の地域を中心とした方言です。隣接する山形北部の地域や、岩手の北上までの地域、宮城の北部と少し共通する部分もあるようです。県北部は青森の津軽弁などが混ざっているようです。県内は縦に長く広大な面積を有する土地柄ゆえ、市や町、あるいは隣の村の単位でも微妙に方言の言い方や、アクセントまでが違っている場合が多いです

赤いクルマ Ⅲ

その後、運転免許を取得した私は、車を購入するとしたら、色は絶対赤にすると決めていた。そして念願叶ってはじめての車は赤(初代の日○パ○サー1300cc)いスポーティなクルマだった。その後は白い車、そして再び赤のサ○ノ○になるわけだが、このサ○ノ○は特別意識して、赤にしたわけではなかった。ミニコンからはもう何年もたっていたので、あのサッコのトークは忘れていたのだが今こうしてサッコサイトと出会い、車の購入を決める今になってなぜかフッと思い出したのだ。

その後また何年かたち、その次はさすがに30を越えて子供も生まれていたので赤のスポーツタイプの車ではなく、濃紺(ト○タ○パ○オ1800cc 4WD)のゆったりとしたファミリーカーにした。その○パ○オも4度目の車検を前に、お別れする日が近づいてきた。自分にとっては凄く感慨深い。想い出がいっぱい詰まっている車だ。先日、○パ○オを購入したディラーへ行って話をした。何度もお世話になっていて点検から修理、店の催しなどがある時はいつもここでお願いしている。その販売店の中に昔からの知り合いがいる。整備士をしている快活な女性だ。以前、市内でソフトボールチームを結成していたのだがそのメンバーだった仲間だ。(現在は結婚したり引っ越したりして人数が揃わず休止状態だが)私より13歳も年下の彼女だが車ではいろんな面で彼女にお任せしている。私と○パ○オの事はすべてといっていいほど把握している。彼女にあの言葉を口にしてみた。「何年も乗ってきたクルマだから“とても可愛い”けどね」と。私がこんな言葉を使うなんて・・と彼女はちょっと意外そうな顔をしてみせた。私自身も初めて使ってみた言葉だ。だがこれはサッコの表現を受け売りしたにすぎないのだが、この気持ちは本心だった。

もうすぐ新車が来る。しかし、さすがに赤いクルマではないが・・・
その代わり、この車との別れがくるかと思うと一抹の寂しさが残った。

赤いクルマ  終

赤いクルマ Ⅱ

時期ははっきりしない。多分1980年か、1981年のどちらかだったと思う。サッコが私の実家の市内へ2度目に訪れた屋外ステージでの事だ。地元の広域体育館の屋外ステージで200数十人ほどの人達の前でミニコンサートが開かれた。その途中のMCで、司会者と休日の日の過ごし方という話題になって、サッコが「車が好きでよくドライブしています」と答えていた。そこで司会者が「どんな車にのっているんですか?」サッコ「赤いクルマでよく走っているんですよ。バーと遠くまでドライブしちゃいますね。もう自分のクルマは可愛くてたまらないですね」とのMCを聞いた気がする。この赤いクルマを所有してるかは、あくまで“聞いた気がする”なのではっきりそう言ったかは定かでない。うろ覚えなので違っているかもしれない。(この当時赤いクルマに乗っていたか、サッコうんちく博士のKAZUKO氏なら知っているだろうか?サッコさん、間違ってたらごめんなさい!)でもはっきりと言った事を覚えているのは“クルマが可愛い”という表現だ。そのミニコンに行った時は私が運転免許を取得する前で、クルマが可愛いという言い表し方もあるんだなと、妙に関心して心に残ったのを覚えている。それ以来私は、サッコイコール赤いクルマそしてそれは可愛いもんだと頭の隅にず~とこびりついていた。

赤いクルマ

もうじき別れの時期がくる。マイカーを手放すときだ。思えば家族優先で購入した物だが、以前のへば講座でお伝えしたように、4度目の車検を前に思い切って乗り換える事にした。その前はスタイル重視で乗っていたト○タのサ○ノ○βという2ドア1500ccのクーペタイプで真っ赤なスポーツタイプだった。いい歳をして・・と思われるかもしれないが、このときはもう結婚はしていたが、まだ20代後半で子供も生まれておらず、仕事だってばりばりとやっていた時だ。いい気になってかっこいいクルマに乗りたかったのだ。この頃はまだバブルの時期で、お金を稼いで楽しく暮らそうという風潮が世間には多々あった。しかし、その後まもなく崩壊したわけだが、そのバブルという風を受けて、私も人並みに光っているクルマに乗りたかったのだ。光っている以外にあった条件が、“赤いクルマ”というのがそのひとつだった。

・・つづく

ひまわり画像

カメさん提供!!ひまわりアップです。左端のみ本物のかわいい画像。最近は、さまざまな造りのお花があるようですね。皆さんもサッコステージにお持ちして、会場をひまわり畑一色に埋め尽くしてみませんか!?よろしければカメさんのご尽力?に一言お言葉をかけて差し上げてくださ~い☆

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赤ちゃんみたいな女の子 カネ

中学に入ると,クラスや部活での友人関係も広がっていき、物静かだった私も次第にどういうわけかユーモアがあるやつと言われるようになっていった。そして中2であの苦手だった金○さんと同じクラスになった。小学校の頃の私と違い、彼女の性格はほとんど苦にならなくなっていた。むしろはっきり物事をいう性格は、はらに残さずねちねちしない人間として次第に好感が持てるほどに、彼女に対する気持ちが変化していった。彼女も彼女で、少女時代特有の、尖がったものの言い方、我を押し通す態度も薄れていき、以前より人当たりが好くなってきたように感じた。柔軟な考え方ができるようになってきたのだと思う。これは私にもいえる事で、この時期は少女から大人へと急激に変わっていく成長過程の真っ只中で、他人への接し方や、人を思いやる気持ちを持つ事が少しずつできるようになり、以前より気楽に話せる存在として2人の距離が縮んでいったのだと思う。呼び名も以前は金○さん、と呼んでいたが、姓のあたまをとってカネと呼び、彼女も私を名をよびすてにするようになった。(かなみはハンドルネームだが、文中ではこの名を使います)

赤ちゃんみたいな女の子 クラスメート

田舎の中学といっても、市内では一番大きな学校で、1学年に8クラスあり、人数もひとクラス45人前後いた。今考えると、男子でしゃべった事がないような人もクラスで2~3人ほどいたように思う。2年と3年が持ち上がりで一緒だったので、厄払いやクラス会などではいつもこのクラスだったメンバーで行っている。数年前に、男子の厄払いをした時は、当時しゃべった事がないような人とも笑いあってしゃべったりして、学生時代にできた友人は一生のつきあいをすると言われるが、実にそのとおりだと思う。その中に、金○さんというクラスメートがいた。小学校では3~6年生まで一緒。中1は違ったが再び中2、3年と同じクラスになった。小学校の頃の彼女は、クラス委員などもし、先生にも可愛がられていていわゆる優等生タイプであった。当時、私は体育の時間と年に1度の運動会以外は目立たない、普通の物静かな少女であったから、何でも自分が正しいと思った事をずばずば言う彼女は、少し苦手な存在であった。しかし、唯一共通点があった。それは2人とも、サッコファンであったという事だ。