vol.77 『和的解題』*3
青山ライブ以来Yoshiさんにいただいた『今夜はちょっといい気分』をBGMに仕事を片付けている毎日ですが、今ほど今回のテーマである『夢みる頃』にBGMをかえてキーボードを叩き始めたところです。『夢みる頃』の話題は半月ぐらい前にひまわり隊福井支部長まるよしサンが「いとしのサッコ」<私的解題10>で取り上げていらしたテーマです。できるだけ話題を共有させていただきたいと思いながらもなかなか時間が取れず出遅れてしまいました。今回は私なりの『夢みる頃』を書いていきます。本当はMAYUMI姉貴にあつーく語っていただきたいところなんですけどね。
一度サッコちゃんに尋ねてみたいと思いつつ聞きそびれているのが衣装のことです。『夢みる頃』というとジャケットの鮮やかな黄色と黄緑色の若葉色(四つ葉色?)のイメージが強いのですが、16歳の恋に夢みる女の子の歌です。淡いピンクがイメージカラーでしたよね?こうして世界に向かって問いかけてみるのも初めてで聞こうということ自体を忘れてしまいます≧0≦ ポメラニアンと一緒の画像は『木枯しの二人』の宣伝用スチールの一つですが、この衣装こそが『夢みる頃』の衣装なのです。サッコの写真集をお持ちの方は10月25日サンプラザ音楽祭でグランプリを受賞した時の写真で確認できると思います。もう一つの衣装はオールピンクです。
『夢みる頃』の発売日は74年8月5日ですが『ひまわり娘』同様15歳の歌声です。阿久先生の著書「夢を食った男たち」に『ひまわり娘』は73年の暮れに『夢みる頃』はロンドンでのレコーディング時に受け取ったという記述があります。また、-このような時代であったから明るい「ひまわり娘」を書きたかった。日本も暗かったがロンドンも暗かった。ホテルもあるかなしの暖房で渋谷森久とぼくはそんな部屋で震えながら「ひまわり娘」の打合せをし、新しくできて来た曲に「夢みる頃」などという詞を付けながら、これは酔狂かもしれない、全く悪い冗談だと苦笑していた。-とあります。…酔狂?悪い冗談?…裏を返せば阿久先生が本気で歌で明るく夢ある世の中に変えたいと思っていらしたということですよね。 デビュー前に掲載された雑誌記事によるとサッコちゃんがロンドンへ向かったのは74年1月12日。レコーディング日は1月16日となっています。この時の映像は日テレちゃんに保管されているはずなので35周年記念リサイタルの折りにはDVDにして発売してもらいましょう!がんばろーっ!ひまわり隊! 『オレンジの涙』を含めた3曲はシュキ・レビ作曲ケン・ギブソンアレンジ。このお二人の話題は耳にしますが、カップリングのいえいえB面の『待ちこがれて』の作曲者ジェームス・リードそしてアレンジャーのハル・ワトキンスの話はそういえば聞いたことがありません…。皆さんはいかがですか。
最近になっての『夢みる頃』の想い出話といえばやはり30周年記念リサイタルで披露してくださったことですね。シャウト&スパークに並んで天まで連れていかれそうなファルセットも歌手「伊藤咲子」の魅力だと思うのですが、復帰直後のサッコちゃんはそのファルセットに不安を抱えていて、当時のサッコ日記を読み返していただくわかりますが度々その不安をもらされていました。626の前年末佐世保のディナーショーの後でのこと。私は626で頭がいっぱいのサッコちゃんに「『夢みる頃』がいちばんキー高いよね」と同意を求められたことがあります。暗黙ながらファルセット尽しの『夢みる頃』が課題の一つだと感じていましたから、「そうです」とサッコちゃんの歌は難くて大変ですねとの気持ちで答えたつもりでしたが、「でもリバティーさんがダバダ~(若葉のコンチェルト)も同じFだってゆってましたよ」(サッコ彩図掲示板869参照)と続けたらサッコちゃんが無言になってしまったという出来事がありました。前身ひまわり隊も626用サッココールを練習した時に『夢みる頃』は外したほど…。でもさすがはサッコちゃんきっちり仕上げて会場をまわりながらこの歌を歌ってくださいました。練習はしなかったけれど即興夢みるコールもばっちりだったと思います(笑
過去にサッコ彩図掲示板でマニフェスト夢みる頃政策なんて書いたことがありましたが、ゆとり教育の第一号が来春高校生になるんですよね。♪16は夢みる頃~ 最後になりましたがモノクロの車中画像は74年8月25日ファンクラブ結成を記念して行われたバスハイクの一枚です★16歳真っ只中のサッコちゃんです★
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